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23話 物品や景色も、実は情報で存在している

 「一年の計」、22話では、食糧以外のモノは、炭素情報も含んだ情報空間で整理するとしました。食糧は、防衛・攻撃の対象モノですから。

 何となく難しい「計」ですが、人間界での世の中は「全てが情報」です。

 暮らしの中には、様々な物品や出来事、景色等の環境や趣味などがありますね。

 でも、五感で確認しているはずの視聴や御馳走、スマホや自動車などが、単に「情報だ」と言われれば、ピンと来ないかも知れません。

 暮らしに実存する物品等でしょうし、美術作品を鑑賞して感銘するなど、常日頃に触れる様々な物品・景色などは、そこに存在している「物体」ですから、とても“情報”とは思わないでしょう。

 経営資源とされる《ヒト・モノ・カネ・情報》でも、人や物やお金については、“情報”とは別ものとして扱われていますよね。

 にもかかわらず、生物の進化、〔防衛〕と〔攻撃〕で確立されてきた「理解」と「認識」に当てはめると、その相手、物品や身の回りの環境などは、〔安心〕と〔豊かさ〕のための“情報”として把握するようになっています。

 そう、あらゆる物品等は、「理解」と「認識」の段階で、“情報”として存在しています。

 そして、外因にある“情報”が、喜怒哀楽等の内因とが、頭の中で相互影響して、その心が器の中での共鳴もしているのですが、これを理解することは難しいかも知れません。

 量子の“ゆらぎ”と同質です。バナナとパイナップルの合体は、バナップルだそうです。

 人間界が自然界と異なるのは、この“情報”が集団の秩序である社会性システムを創って、《器と心の共鳴》で挙動していることだと思っています。

 この《器と心の共鳴》が、人々の間に広がりを作っています。

 〔三間の広がり〕の中で、〔時間の広がり〕は、過去・未来の“時”とすることに、異論はないと思います。

 また、〔空間の広がり〕では、大気や水・地面、真空などの三次元でなされますね。

 これは、物理的空間と言われるリアル空間を指しています。

 物理的空間の対比語では、心理的空間や社会的空間もあり、またリアル空間と言っても、この対比語にあるバーチャル空間やサイバー空間、仮想空間でしょうが、そうではない情報空間をイメージします。モノ⇒コト化での『モノ情報空間』と称しておきます。

 3つ目の〔人間の広がり〕ではどうかと言えば、「広がり」の現象は、SNSでの拡散や伝言ゲームでの意味変化、十人十色での内因・外因によるリテラシーの差、元々の人知の限界、喜怒哀楽などの情緒変化、マズローの欲求5段階の分類等々があって、これらの全ては、言葉や身振り・表情、絵画・記号等に置き換えられ、「理解」と「認識」という“情報”で処理されています。

 そう、見飽きたり無視したりで価値が下がるとか、100万円の札束(モノ情報空間)という物品は、未開発地の現地人にとっての“情報”になると、葉っぱの代用(物理的空間)になるとか。

 
 
 

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