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9話 環境知足庵の≪合理的?≫の集大成

更新日:2024年10月31日

 『気候変動での生き様(仮)』は、人々の「生き様」をノウホワット(know-what)で観て、書いています。

 「生き方」や「生きる術」、生きて行く上での秘訣をいうノウハウ(know-how)は、他の書物などに委ねた整理をしています。

 そう、ノウホワット(know-what)、この言い方からして、へそ曲がりな考え方ですよね。

 何故って、中学時代の読書感想文の宿題で、山本有三の「路傍の石」を読んだときに、気が狂いそうになって、以来、文学作品はもちろんのこと、小説的なものや映画・演劇、さらにはプロのスポーツ鑑賞に至るまで、【人為的作品】に対する拒絶感が、私の心に備わっています。

 人が書いた「フィクション」に感動してしまった自分、文学に埋もれる自分に、恐怖を感じました。

 自然こそが真実、これを知っている自分が、「小説ごときで感動」させられこと、この自分が「これで良いのか」という自問で、気が狂いそうになっていました。可愛げが無い!!かも。

 きっと、精神的な化学物質過敏症、心のアレルギー体質なのでしょう。

 これが、環境オタクの“理”の原点です。

 ついでに、地球温暖化での【人為的排出】も“人為”ですから、私の拒絶感の対象に、・・・?

 『気候変動での生き様』では、この立場、私の“理”による合理的な考えで、現在の世の常、人間界を自然界から独立させている社会構造、特に文系の学問を“理”にした各界の常識には、合致しない理屈まで踏み込んでいます。

 例えば、権威主義への留意やウェルビーイング経済学などでの産業構造変革といった内容は、現在の世の常、既得権益構造にある社会・経済の“界”からは、「論外だ」として否定される立ち位置にあるでしょう。

 【組織・構造・仕組み・制度】を〔社会システム〕にして、このうちの【構造・仕組み】は、DNAで進化してきたシステムも含むとか、〔人存エネルギー〕という【知・技・権・財】の造語などは、現在の“理”、社会常識にありませんから。

 ですから、『気候変動での生き様』の内容が、是であるか否であるかは、世に問うことになります。

 と言うよりも、読んでいただけるかどうか、それは不明ですが。

 ただ、内容が是であっても否であっても、「人間界は自然界に居る」という事実は、不易です。

 気候変動という“課題”においては、是非とも「見詰め直す」ことが、必須でしょう。

 この視点で、『気候変動での生き様』を集大成したつもりです。

 このような推考の原点は、環境オタクの半世紀にわたる人生訓、「環境問題は解決しない」という現実があります。

 このために、「何故?」「何故?」を繰り返してきた人生経験、因果での因、元々の理由に深入りするノウホワイ(Know-why)に、異常な関心があったからかも知れません。

 中学生時代からの〔精神的な化学物質過敏症〕を引きずって。

 
 
 

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